琉球新報:2007年12月23日

村松正之助と皇道産業焼津践団/望月雅彦著(ヤシの実ブックス・3675円)
/戦時沖縄漁民の行動解く

 太平洋戦争中、特に戦時下の沖縄漁民の行動については分からないことが多い。
本書は、著者がこだわり続けた故郷焼津(静岡)のカツオ漁業とカツオ節の南方展開につい
て述べただけでなく、沖縄との密接な関係をまとめたものでもある。
 その中心人物が昭和の山田長政ともいうべき村松正之助であり、彼の業績を紹介する書でもある。
山田(静岡出身)は十六世紀にアユタヤ(タイ国)で活躍した歴史上の人物で、村松正之助は、
焼津のカツオ節業界を代表するカリスマ的なリーダーであった。戦時下の日本軍南方占領地域に
「焼津村」をつくるといって、漁業者以外にも大工など現地での造船所づくりに必要な職人までも
多数同行している本格的な移住計画の提唱者でもあった。
 沖縄とのかかわりは、この南方行きの漁船に多くの沖縄県人が雇われたことにある。
「皇道産業焼津践団(略称・践団)」(皇国臣民のとるべき道を水産業で実践する焼津の団体)
という名称からも、当時の右翼理論家大川周明や頭山満などと親交のあった村松の思想背景は明白である。
 時代の先端をいく村松の南方出漁に関し、意外にも軍関係者はきびしい態度で接している。
そもそも、焼津のカツオ節業界が戦時下で事業継続ができなくなったのは「統制経済」の影響である。
 原価に見合う配給価格の保証はなく、転業または廃業の選択を迫られていた。
その打開策が南方への進出であった。しかし、後発組であった践団に対し、軍が割り当てたのは
カツオの獲(と)れない海域であった。村松は、その打開策として
沖縄の追い込み網を導入、多くの宮古伊良部漁民を採用した。
 北ボルネオ団として参加した百五十五人の沖縄出身者は、本土出稼ぎの三、四倍になる待遇もあって
伊良部以外にも久高、瀬底など各地から参加している。
沖縄にとって重要なのは、収録された「聞き書き・南方水産業開発団員名簿編」にあろう。
父親が践団の一員であった、故西銘順治沖縄県知事の証言など貴重な史料が多い。
 著者の既刊『ボルネオに渡った沖縄の漁夫と女工』と合わせてその
研究に感謝し、今後に期待したいと思う。
 (上田不二夫・沖縄大学教授)


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